ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

御柱祭のグランドフィナーレ!!諏訪大社上社本宮の宝殿遷座祭を見てきました

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昼休みを少し前倒して、諏訪大社の上社本宮で行われた宝殿遷座祭を見に行ってきました。

以前、このような記事でも書きました。 

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この記事でも触れましたが、御柱祭は正式名称を「式年造営御柱大祭」といいます。御柱祭と言えば木落しな川越しなどの豪快なお祭りというイメージですし、地元でも注目や話題はそちらの方が大きいのですが、実は正式名称にこそお祭りの真の姿が隠れているのです。

宝殿遷座祭はそんな御柱祭の真の姿を垣間見ることのできる神事で、同時に、上社の御柱祭のグランドフィナーレでもあります。

宝殿遷座祭とは

御柱祭の正式名称を「式年造営御柱大祭」と言います。式年とは定められた年のことをいい、御柱の場合の式年とは6年で、6年に一度お祭りを行います。造営とは字のとおり社殿などを造ることです。つまり、御柱祭とは6年に一度、寅年と申年に社殿を立て直すお祭りということです。お伊勢様の遷宮をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。

歴史とともに建て替えの規模は小さくなり、現在では茅葺屋根の御宝殿の建て替えと、御柱の曳き建ての二大行事が行われるお祭りとなりました。

御宝殿はお宮の中に新旧の2つがあり、御柱祭のたびに交互に修復され、新しい方に神様には御移りいただくわけです。その神事が宝殿遷座祭です。

本宮の宝殿

数日前に新しい本殿が出来ました。その際にも記事にしています 。

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この記事では真新しい東宝殿をご覧いただきましたが、一つ、紹介し忘れたことがありましたので、ここで紹介します。

もし、本宮に来られることがあれば、是非、見てもらいたいのが宝殿の屋根です。

新しいほうを見るのではなく、両方を見比べてもらいたいのです。

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宝殿は四脚門を挟んで並んであります。左が新しく建てた東宝殿。右がこれまで使っていた西宝殿です。6年に1度、それも交互に修復しますので屋根の痛み方がだいぶ違います。特に建て替えたばかりの今は、その差は歴然です。この屋根の違いを眺めると時の流れを実感できます。

神事の様子

宝殿遷座の際は布橋が白い幕でおおわれて中を確認することはできないと聞いていたのですが、上の写真のとおり宝殿の真正面こそ隠されていましたが、神事の様子を遠くからですが見ることが出来ました。

なにぶん、遠いのでイマイチ分かりずらいかもしれませんが、順を追って写真で紹介させていただきます。

清祓池の前で儀式

宝殿へ向かう前に池の前で儀式がありました。場所から想像するに、重要な神事の前に穢れを払うための前準備のようなものなのでしょうか?

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装束がいつもとはだいぶ違うような気がします。

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ここでの儀式が済むと、神官らは四脚門前の階段を使って布橋へ向かいました。

宝殿のある布橋へ

神官らが池の前で儀式をしていること、氏子の代表らは先に布橋へと向かっていました。

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普段ですとこの階段は使いませんし、通常の神事の際もここではなく、四脚門前の階段を使います。

しかし、どういうわけか今日はこの階段。四脚門の階段を使うと宝殿の中を覗けてしまうためでしょうか?

このあたりの理由は分かり次第追記させていただきます。

神官らはいつもの神事同様に四脚門の階段を使っていました。

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ん~ なんか、やっぱりいつもと装束が違うような気がする。あの襷みたいなのは何なのだろう。

四脚門といえば、今日は門の前に見慣れぬ屋根が出来ていました。

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この屋根は他の神事では見たことはありません。もちろん、普段もありません。

布橋の様子

下からでは見づらいので場所を変えました。

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布橋の入り口付近からカメラの望遠レンズを覗きながら見学です。

現場では暗くて見えなかったのですが、写真の明暗をいじると奥まで確認できました。奥に並んでいるのは雅楽の方たちですね。神事の最中、常に雅楽が境内に響いて、とても厳かな雰囲気でした。

ちなみに、当然のことながら神事の際はこの布橋という廊下は通行できなくなります。

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どうも、朝から通行止めだったみたいです。

遷座の直前はこんな様子でした。

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手前のスーツの人たちが氏子の代表。その奥、宝殿と四脚門の前に神官が並び、さらに奥に雅楽の皆さんが並びました。

雨風を司る諏訪明神

いよいよ遷座が始まろうという頃から、急に風が強くなりました。

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それまではただただ蒸し暑かったのですが、掲示物などが飛ばされるくらいの強めの風が吹くようになったのです。

「だからどうした?」と言われるかもしれませんが、私にはそれがとても印象的だったのです。というのも、諏訪明神は雨風を司る風神としての神格も持っている神様だからです。

昨日は大雨。そして今日の快晴。埃は全て洗い流され、そこに照りつける初夏の陽ざしで、いつも以上に神社が綺麗に見えました。そこへ、神事が始まるころの大風。偶然と言われればそれまでですが、私は何か神秘的なことを思ってしまいます。

遷座

遷座とはとてもザックリと言ってしまえば引っ越しです。旧の西宝殿から新し東宝殿へお引越しいただくわけです。

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奥にある東宝殿から、中にあった物を神官らが運び出しては、新しい西宝殿に運び込みます。

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これを何度も繰り返し、最後に神様に御移りいただきます。

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あ~完全にピンボケだ… 

このように神輿で御移りいただきます。

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布橋を通って、西の宝殿から東の宝殿へ向かうのですが、天井が低いので通るのはとても大変そうです。

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無事、神輿が西宝殿に到着しました。

この後さらに、西宝殿に様々なものが運び込まれていきました。

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先ほどと違うのが、西宝殿から運び出しているのではなく、四脚門の方から持ってきていることです。奥の赤い装束の方が四脚門の前にある屋根の下を通っているのが分かります。ですから、手に持っているのは神饌の類いでしょうか。

一通り運び込むと、宮司によって祝詞が挙げられました。さらに氏子らによって玉串が奉納されました。

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この後、宝殿内の神饌等を片付けて神事は終わりました。

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全てが片付いて宝殿が綺麗になるまでが神事。全部で1時間くらいの内容でした。

遷座を見終えて

御柱祭は何度か経験していますが、実は宝殿遷座祭を直に見るのは初めての経験です。先にも書きましたが、遷座の際は布橋に白い幕が張られ、中の様子は見る事が出来ないと聞いていたので、白い幕で覆われた布橋の写真を撮って終わりの予定だったのですが、バッチリ様子を確認できました。

これ、最近変わったのでしょうか?それともそもそも私が間違えた情報を聞いていたのでしょうか?まぁ、いずれにしても遷座の様子を見る事が出来たので良かったです。

長かった諏訪大社の御柱祭もこれで遂にお終い。そう思うと、なんだか少し寂しくもあります。

 

でもね。だからと言って、御柱祭が終わるわけではないんですよ。終わったのはあくまでも諏訪大社の御柱祭。まだ小宮の御柱祭があちこちで開催されるんです。今週末は八立社で古御柱の神事もありますし、そう、まだまだ、諏訪は御柱祭が続くのです。

御柱ロスとか言ってる場合じゃないんです。

 

では、また。