ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

御柱祭直前!!ところで、御柱祭って何の祭り?【御宝殿立替について】

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御柱祭直前となった諏訪は何処に行ってもその話ばかりです。そしていよいよ今週の土曜日、4月2日からは上社の山出し、祭り本番です。

さて、その御柱祭ですが、正式名称を「式年造営御柱大祭」といいます。御柱祭と言えば木落しな川越しなどの豪快なお祭りというイメージですし、地元でも注目や話題はそちらの方が大きいのですが、実は正式名称にこそ、お祭りの真の姿が隠れているのです。今日はそんなお話。

御宝殿立替

繰り返しになりますが御柱祭の正式名称を「式年造営御柱大祭」と言います。式年とは定められた年のことをいい、御柱の場合の式年とは6年で、6年に一度お祭りを行います。造営とは字のとおり社殿などを造ることです。つまり、御柱祭とは6年に一度、寅年と申年に社殿を立て直すお祭りということです。

現在は奉仕者が諏訪郡域に限られていますが、かつては信濃国全域だったそうで、この頃はお社、鳥居、板塀など神域にある建築物全てを新しいものに建て替えていたそうです。お伊勢様の遷宮をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。

その後、奉仕者の範囲が縮小するに従い、建て替えの規模も小さくなり、現在では茅葺屋根の御宝殿の建て替えと、御柱の曳き建ての二大行事が行われるお祭りとなりました。

現在の御宝殿の様子

上社の本宮の御宝殿は普段ですと布橋沿い、四脚門の左右に東の御宝殿と西の御宝殿の2つが並んであります。宝殿は諏訪明神の御霊代(みたましろ)をお祀りするもので、御柱年に一棟づつ建て替えられます。今回(2016年)の御柱では東の宝殿が建て替えられます。

先に「普段は」2つの宝殿があると書いたのは、既に建て替えのために宝殿の一つが撤去されているからです。

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ここが東の御宝殿の造営地です。数か月前までは前々回の御柱祭で建てられた宝殿が建っていました。

奥に見える門が四脚門で、さらに奥に西の御宝殿があります。

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現在はこちらが正式な宝殿として使われています。お祭りの後、東の宝殿ができると、そちらにお役目が移るわけです。そして、新旧二殿が共存する形で次の御柱で建て替えられるのを待つわけです。

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ちなみに、上社の場合、宝殿は本宮のみで前宮にはありません。下社は秋宮・春宮にそれぞれ御宝殿があるますので、宝殿は三棟あることになります。

本宮境内にはすでに宝殿の建て替えに使うための御用材が集まっていました。

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一棟分の木材ですからかなりの量です。シートの隙間からちらりと見える用材は、既に綺麗に切りそろえられていました。

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あとは組み立てるのみなのかな?実は建て替えは未だに一度も見たことがありません。今回はぜひ様子を見に行きたいと思っています。

 

御柱祭ではどうしても木落しなどの派手な見せ場ばかりが注目されますが、宝殿の建て替えもされていること、本来はこっちがメインの神事だったことも知ってもらいたいです。

そうは言っても豪快な方に興味があるってかたはコチラをどうぞ。

 

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それにしても、お社すべて建て直していた頃の諏訪ってどれだけ経済的に豊かだったのだろう。その頃の栄光を取り戻すとまでは言わないまでも、これを機会に、もう少し活気づかないものかなぁ…

 

では、また。