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ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

一人の製糸家の寄付によって建てられた旧岡谷市庁舎

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これまでも何度か書いてきているが、岡谷市は明治~大正にかけて製糸業で栄えた町でした。市内にはその頃の繁栄を伝える史跡や建築物が多数点在しますが、その中の一つが岡谷市の旧庁舎です。

今回は旧岡谷市庁舎と岡谷市について。

市制の施行

昭和初年の岡谷は岡谷市ではなく、平野村でした。このころの岡谷は世界恐慌による影響に加え、満州事変の勃発など経済的・政治的に不安定な国際状況から主力産業、というよりも唯一にして最大の産業であった製糸業が大打撃を受けていました。そのため、街は失業者にあふれ、人々は不況のどん底で苦しむこととなりました。

こうした行き詰まりの中、人々は製糸業一本の都市から多角的な工業都市へと転換し、新しい時代に適応していこうと、市制施行を願うようになりました。

昭和8年以降、村会で本格的に市制施行への検討が行われるようになり、昭和10年に村長が内務大臣に願い出て、これを受け11年3月7日に市制施行が認められ、同年4月1日に岡谷市が誕生しました。

岡谷市で庁舎を建て替えられないのなら

さて、市民に熱望されて生まれた岡谷市ですが、一つ問題がありました。それが庁舎です。

平野村から岡谷市に変わったのだから、平野村の役場を庁舎として使えば良さそうなものですが、実はこの庁舎が明治34年の建設で老朽化がはげしかったのです。もちろん改築も考えられてはいたのですが、大不況による様々な支障から実現されずにいました。

こうしたとき、市制施工で市庁舎の新築・改築が必要であることを製糸家尾沢福太郎が耳にします。そしてどうしたか。なんと、彼は私財を投じて岡谷市の庁舎を建築し、これを市に寄付することを申し出たのです。

「岡谷市で出来ないなら、ワシが建ててやる。」と言ったかどうかは分かりませんが、要するにそういうことです。大正期までの岡谷の製糸業の繁栄ぶりと、当時の企業家らがいかに地域へ貢献していたかが分かるエピソードです。

旧庁舎は岡谷市のシンボル的建築物

尾沢福太郎爺に寄付された庁舎は、鉄筋コンクリート2階建、1517㎡、瓦葺でタイル張りの当時としては大変モダンな建築物でした。昭和11年の2月竣工、3月29日寄付採納をうけ、4月1日に新しく生まれた岡谷市の門出を祝うことができました。

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岡谷市の歴史的な経過を考えても、これほど岡谷市のシンボルにふさわしい建築物はないのではないでしょうか。昭和62年に現在の庁舎が建設されるまで使用され、今なお市民に愛されています。

 

 

「無いなら建ててやるよ」って市役所建てられるような人になりたいものです。どう考えても、そんな富豪にゃなれませんけど、心意気ってやつですか、そういうものは見習いたいです。あと、「自分たちでどうにかするんだ」という独立心ね。ホント、先人たちは凄いわ。

 

では、また。