数日前に御柱休めについての記事を書きました。
この御柱休めで、最後に古御柱が曳き入れられるのが中金子地区の八立(八竜)神社です。
今回はこの八立神社についてと、御柱里曳き直前の古御柱の様子を紹介します。
八立(八竜)神社
中金子区の氏神で、もともとは御社宮司社だったが、合祀により建御名神の孫八立尊を祭神とする神社に変わりました。
現在の社殿は明治41年(1908年)に再建されたもので、本殿はその奥にあり江戸時代中期の年号が刻まれた石祠です。(写真撮って来るの忘れました。撮影し次第追加掲載します。)
諏訪大社の御柱祭の際に上社の古い御柱を地中から引き抜き、次の新しい柱を建てるための準備をする「御柱休め」はこの神社の地元中金子区の氏子が務めることになっており、古御柱はこの神社に曳き入れられます。
道が狭く、入り組んでいますので、ちょっと探すの大変かもしれません。御柱を4本も曳き入れるにはあまりにも狭い場所なので、驚くと思います。
古御柱
さて、この時期の八立神社といえば古御柱です。
拝殿の前には本宮の四本の御柱が並んでいました。
御柱休めで上社から曳行してきた柱です。
数日前に見に行った新しい御柱とは違い、味のある色合いです。左から本宮一之柱~四之柱です。見慣れた柱のはずなのですが、こうして横になるとなにやら違うもののような気がするから不思議です。
写真の手前の方が柱の底、地中に埋まっていた方になりますが、本宮の柱は二之柱と四之柱がメド穴の周囲から傷んでしまい、地中から抜き出す際に折れてしまったということです。まぁ、6年も土の中に埋まっていれば水分で腐ってしまうのも仕方がありません。
これが二之柱。砕けた部分も捨てるわけにはいきませんので、縄で縛って柱状にしています。実際に御柱休みで曳行した地元の人によると、短くなった分だけ曳行はしやすかったということです。
こちらが四之柱。こちらも穴の周辺から痛み、折れてしまっています。数日前に書いた御柱休みの記事で神社に曳き入れられていたのはこの柱です。
これらの古御柱はこれにて一旦役目を終え、まさに御柱休めの時期に入るわけですが、神事の後、再利用されます。多くは観光施設などでレプリカ(?)として展示されたりするわけですが、もう一度、別の場所で御柱祭に使われる柱などもあったり、柱ごとのドラマがまだまだ続くわけです。
新しいキレイな御柱を町で曳こうという里曳きを前に、古い前回の柱が気になるってのも変な話なのかもしれませんが、一旦役目を終えたこの柱が今後どのようなお役目を頂くことになるのか、気になって仕方がありません。
古御柱の行方についても今後お伝えしていければと思っています。
では、また。