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ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

白鵬の立ち合いの変化に批判的な人多いけど、最初の相撲もがっぷり四つの取組ではないの知ってます?

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横綱白鵬が千秋楽の結びの一番で見せた立会いの「変化」について随分と話題になっているようですね。はてなのホットエントリーにもいくつか関連したエントリーが上がっていました。

予め書いておきますが、私は相撲は好きですし、若貴ブームあたりから朝青龍が活躍していた頃までは良く見ていましたが、最近はあまり見ていません。だってTV捨てちゃったもん。だから、今回の取り組み自体にはここで言及する気はありません。普段、相撲なんて大して興味もないくせに、こういう時ばかり急に相撲ファン気取るのもおかしな話ですから。

ですが、折角、相撲の話題が盛り上がっているので、言及に対する言及みたいな形で少しだけ便乗させていただきます。

史上初の取り組みも横綱相撲ではなかった

これ、以前に書いた内容なんですけど、当時は読者も少なく、あまり人の目に留まる機会もなかったようなので、もう一度書こうかと思います。 

ちなみに以前書いたという記事はコチラ。

www.hesocha.com

上記の記事は白鵬が猫だましを使って問題になったタイミングで投稿したものです。この短い期間に二度も同じようなことで話題になるというのも珍しい横綱ですよね。

さて、この時の記事ではタイトル通り日本で初めての相撲について書きました。一般的に、相撲の起源といえば、野見宿禰(のみのすくね)の話が有名です。彼は出雲の出身で力自慢で有名で、わざわざ出雲より大和に呼び寄せられ、天皇の御前にて、当麻蹴速(とうまのけはや)という者と 相撲を取ることになりました。但し、相撲とは言え現代の相撲とは姿が違います。勝敗を決した決まり手は野見宿禰の蹴り。なんと、野見宿禰は当麻蹴速を蹴り殺して勝利したのです。

時代もルールも違うので単純に比較はできませんが、原初の相撲が、がっぷり四つの横綱相撲的な力くらべではなく、徹底して勝ちにこだわる(勝たないと命がない)ものだったことは注目すべき点だと思います。

神話の時代の相撲でも見られる立ち合いの変化

古事記」に相撲にまつわる有名な話があります。「国譲り」の物語がそれです。

天照大神は出雲から葦原中国(日本)を支配していた大国主命に、国を譲るよう使者をつかわします。しかし譲れと言われて譲れるようなものではありません。そこで、大国主命の子の建御名方神は、使者の建御雷神に対し、“力くらべ”によって事を決めようと申し出ました。

二人の神は、出雲国伊那佐の小浜で力くらべをします。結果、建御雷神が勝利し、負けた建御名方神は諏訪へ逃れ、諏訪の神となります。こうして国譲りが行われたわけですが、この力くらべをもって相撲の起源と諏訪では言っているわけです。

さて、この国を賭けた大一番、どのような取り組みだったのでしょうか。

建御名方神は巨大な岩を手先で差し上げながら現れ、建御雷神に力競べを申し出た。そして建御雷神の手を掴むと、建御雷神の手は氷や剣に変化した。建御名方神がこれを恐れて下がると、建御雷神は建御名方神の手を握りつぶして投げ飛ばした。建御名方神は逃げ出したが、建御雷神がこれを追い、ついに科野国(信濃国)の州羽海(すわのうみ:諏訪湖)まで追いつめて建御名方神を殺そうとした。その時に、建御名方神はその地から出ない旨と、大国主神・八重事代主神に背かない旨、葦原中国を天つ神の御子に奉る旨を約束したという

タケミナカタ - Wikipedia

力自慢の建御名方神は真正面からの力比べを、おそらく私たちが想像するような相撲を取るつもりで腕を掴んだのでしょうが、対する建御雷神は術を使って正面からの力比べを避けたわけです。言ってみれば、立ち合いの変化で相手を軽くいなしたわけです。

神様同士の相撲でも勝ちにこだわる姿勢がみられるというのも注目すべき点だと思います。

大事なのは目的

ここまで書くと白鵬を肯定するようですが、別に肯定も否定もするつもり有りませんし、現段階でその取り組みを見てすらいないので、繰り返しになりますが、取り組み自体に言及する気はないです。

そもそも上記の二つのエピソードは国譲りはもちろん、野見宿禰の取組も創作の可能性があり、白鵬の取組と比較しても意味のない話です。ただ、今回の件でやたらと伝統だとか、慣習だとかいう人がいるので、「そもそもの相撲ってどんなもんよ?」と思って書いたまでです。

今回の件は横綱の勝ち方について問題視されているのだと思いますが、私、勝ちに至るプロセスよりも目的が大事だと思っています。

先の二つのエピソードで勝ちをおさめた二人はどうして勝たなければならない状態でした。あの状況であれば卑怯と言われようとも勝つしかない。周りもそれが分かっているから、卑怯者呼ばわりされず、英雄として語られています。

では、大相撲の力士の取組の目的とはなんなのか?

相撲って神事であり、スポーツであり、興行でもあるわけです。特に最後の興行としての面が強くなっているからこその今回の騒動だと思うのです。その面に注目して考えたのであれば、プロとしてやるべきはファンの期待に応えることだと思うのです。

勝利こそファンへ期待に応えることという考えも当然ありましょうが、横綱に、それも千秋楽の結びの一番で期待する勝ち方とは違ったかもしれません。要するにファンと期待とは一定の物ではないわけで、都度、何を期待されているかを理解したうえで戦っていくのがプロだと思うのです。

これ、仕事でもそうですけど、ルール上どうだとか、そういう話じゃないでしょ。法律の隙間を付くようなやり方をしていたら信用を失います。逆に、「ウチの業界の慣習だから」と呑気に構えていても、必死にやっている他社にファンを奪われます。

賛否分かれているようですけど、良い悪いではなく、好き嫌いなんですよね。愛想を尽かしたファンが多数いる。それだけが事実だと思います。

もしかしたら… いや、ないか

ただ、こういう考えもあるかもしれません。力士一人ひとりへの期待とは別に大相撲全体への期待と考えたとき、どうすれば大相撲が盛り上がるのか考えた結果だったと。

きっと来場所から白鵬はヒールとして注目されるでしょう。まぁ、今も多少そういう面があるかもしれませんが、強い上に何が何でも勝ちにこだわる力士がいれば、「何としてもあいつに勝て!!」と他の力士のファンは燃えますよね。

そこまで考えての遠謀深慮があったのではないかと… 考え過ぎですかね?

何はともあれ、国技とまで言われるような相撲が盛り上がるのであれば良いことなんじゃないですかね。たぶん。

では、また。