ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

【ホワイト企業?】地域住民と労働者のために造られた欧風温泉浴場「片倉館」

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福祉施設として片倉財閥によって建てられた片倉館

先進諸国では文化福祉施設が充実していることに感銘を受け、諏訪に文化福祉施設を作りたいと、片倉財閥関係者のみならず、一般市民が利用できる施設として建設された温泉浴場が片倉館です。完成は昭和3年(1928年)。設計したのは森山松之助で、台湾総督府などの設計でも知られた方です。温泉浴場としてはめずらしい西洋風建築で、印象的な尖塔と煙突、水平なものと傾斜の強い屋根を配置し、非対称の美を表現しています。その姿を見れば、欧州の古都をイメージすることでしょう。現在は国の重要文化財に指定されています。

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 浴場館と会館の2棟からなり、浴場館は千人風呂として現在も営業しています。夜間はライトアップされ、幻想的な情景を浮かべあがらせます。

ホテル・旅館街に近いこと、諏訪湖畔に位置することから人気の観光スポットでもあります。

www.katakurakan.or.jp

 

諏訪地方の製糸と片倉家

かつて日本における輸出総額の約4割は絹製品でした。そんな時代、全国の生糸生産高に占める割合をみると、岡谷市をはじめとした諏訪地方で全体の14~5%を占め、県外の諏訪資本の工場も加えると24~5%が諏訪系という統計があります。最も多いときは62%を占めたというときもあるそうです。諏訪地方は製糸で栄え、製糸で日本経済を牽引していたのです。そして、その諏訪の製糸業の中心にいたのがシルクエンペラーと称された片倉家です。

福利厚生慰安施設の建設などを通して貢献

諏訪地方の製糸場の女工女工哀史やおよび野麦峠の影響で劣悪な環境で地獄を見たかのように言われがちですが、実はそんなにひどくもなかったそうで、ある調査では食事が悪かった・低賃金だったなどと答えたものは誰もなく、長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「それでも家の仕事より楽だった」と答えているそうです。

それはそうだ。産業といえば一次産業ばかりの時代だ。同じだけ稼ごうとすればもっと過酷な労働を強いられただろう。それに、片倉館に象徴されるように、諏訪の製糸業は地域住人や女工ら労働者への利益還元も行っている。

例えば、当時は未就学の女工もいたため、彼女らのために私立片倉尋常小学校を建設している。また、工場内には専属の教師がおり補習授業を受けることもできたそうだ。補習では裁縫、家事、修身、国語が必修科目で、編物、刺繍、生花、手芸などが随意科目となっていた。働きながら嫁入り修行ができたわけです。

狭い範囲に大勢の人間が住まうとなれば気を付けなければならないのは健康管理です。病気でも流行れば大変なことになります。このため保健衛生面も充実しており平野製糸協同病院(現・市立岡谷病院)を製糸業者が共同出資で建設しています。

経営者ならば見習いたい

女工らの労働環境は現在の水準と比較すれば過酷なものかもしれませんが、当時の水準で考えれば、かなり恵まれた環境だったとも思えます。

100円女工なんて呼ばれる女工もいたそうです。当時は100円あれば家が建つ時代です。それだけ稼げるなら多少辛くてもねぇ。

これだけの賃金が支払われているということ、それに上記のような施設の存在を考えても、少なくとも熟練の女工は大切にされていたのでしょう。

というか、はてなブックマークに並ぶIT関係のブラック企業の話の方がよほど過酷だったりしませんか?某飲食店のバイトの方がはるかに悲惨だと思いませんか?

当時の企業主は利益を追うだけではなく、労働者の生活や地域の発展についても責任を負っていたということが分かります。ノーブレスオブリージュ、貴族の義務ってやつです。

派遣労働者やパート・アルバイトを使い捨てる事業主は片倉館の千人風呂にでも浸かって、金銭欲まみれの薄汚れた魂を洗い、当時の経営者たちを見習うべきだと思います。