ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

県歌「信濃の歌」をシッカリと歌えない長野県民がいるって?って、自分のことだった…

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ホットエントリーに目を通していると、こんな記事に目が留まった。

mainichi.jp

信州人なら誰でも知っている県歌「信濃の国」をしっかりと歌えないものが、なんと1割もいるというのだ。

「まさか、そんなにことはないだろ?」と思うと同時に、自分はしっかりと憶えているのか不安になり、県のホームページで確認をしてみました。

 信濃の国って6番まであるの!?

県歌 信濃の国/長野県

ここに歌詞があるので、確認してみたのですが、まず驚いたのが、この歌、6番まで歌詞があるんですね。

わたし、3番までしか習った記憶がありません。ですから、3番までは完ぺきに記憶しておりましたが、その後は正直、一切知らないです。

何かの機会に歌われるのも、通常は1番だけですし、確かにすべでしっかりと歌える人って少ないのかもしれませんね。

「全部または1番を歌える」を世代別にみると、20代と40代以上は8〜9割なのに対し、30代だけが5割にとどまった。

と記事にはあるのですが、まさに、私はこの5割にとどまった世代。 学校行事等で国歌斉唱がなく、国歌清聴とか、場合によってはそれすらないような世代です。国歌同様に、反対運動でもあったんでしょうかね?

チョッと調べてみたくなりました。

信濃の国にそんな歴史が

「信濃の国」は1900年に教材として制作された。県の北部と南部が対立し「分県論」が噴出した40年代後半、県議会で傍聴席などから合唱が起きて対立を鎮めたという実話が残る。

マジかぁ。知らんかったわ。こんな話。

凄いじゃないか、「信濃の国」。

長野県は江戸時代は多くの小藩に分かれていたので、同じ県とは言え、町ごとに文化も方言も違います。ですから、外から見ると、みんなが歌える「信濃の国」なんかも全体主義的で怖いとか言われがちですが、実際はまとまりがなく、いがみ合うことの方が多いのです。

そんな県民がとりあえず一体感を持てるのが「信濃の国」なわけですが、まさか分県論を鎮めた過去があったとは驚きでした。信州に住んでいながら、これを知らなかったとは、恥ずかしい限りです。

これも興味出てきちゃいました。暇を見つけて調べてみようと思います。

県歌を歌えるってそんなに変わっているのかね? 

長野五輪の際にも親せきら他県の人から不思議がられました。「県の歌なんてあるんだ!?」って。いや、でも、調べてみると、県歌のある県って他にもあるでしょ?

国に国歌があり、学校に校歌があり、プロ野球チームに応援歌があり、アニメに主題歌があるように、県に県歌があったっておかしくはないですよね。

結局、みんな知っている、みんな歌えるというのが奇異に感じられるのでしょうね。

上記のように、長野県って一つの県でありながら、山一つ越えれば文化も伝統も歴史も全然違っていますから、一体感が希薄だったわけです。そういう県民が一体感をもてるツールとして定着したんじゃないかと思います。

小学校でも、校歌を習い、次に信濃の国、国歌は最後、いや、習ってないかも… という順で習いましたので、郷土教育の教材としても使われていたのだろうと思います。

 そんなに仲が悪いの?

いまどき、こういうことはあまりないと思いますが、昔は感情的な対立が結構あったようです。特に長野県の南北問題とか南北格差とか言われる対立は根深いものがあります。

現在の長野県は、明治時代に長野市を中心とする長野県(北部)と、松本市を中心とする筑摩県(南部)とが統合されて誕生しましたが、その直前、松本にあった筑摩県庁舎が焼失する事件があり、そのため統合されたとか、県庁所在地が県の外れの長野市になったとか(県南部では)言われています。また、この事件に関しては現場が抹香臭かった(長野市は善光寺を中心に栄えた)とか、程度の悪い嘘を交えて話す年配者も多く、まぁ、それだけ、南信地区には長野市など、先行して発展していく県北部に対する妬み・嫉みがあったのだろうと思います。

また、こんなことも言われています。

上田カラス、松本スズメ、諏訪トンビ

誰が言ったか知りませんが、県の主要都市のうち、一ヶ所抜けているような気がしますので、そこら辺からでしょうかね?

上田の人間はカラスみたいにずる賢い。松本の人間はピーチク、パーチクと議論ばかり。諏訪の人間はトンビのように悠々としているクセに、獲物を見つけると急変する、つまり利にさといということらしい。

いや、実にうまいこと言う。それぞれの街の歴史的な特徴をつかんでいる。諏訪を同じ猛禽類の鷹ではなく、あえて諏訪湖で滑空するトンビにしているあたり、実に小バカにしている感じが出ていて良い。トンビが鷹のトンビ。つまり、小物が多いということも言いたいのだろう。

とまぁ、こんな感じで、何もしなかったら一体感の欠片もなく、下手をしたらいがみ合い続けたかもしれないのが、長野県なのです。

その長野県民がこれを歌っているときだけは一体感を持てる。それが「信濃の国」なのです。もっとも、今はこういう感情的な対立ってほとんど残っていないと思いますけどね。

調べてみるだけの価値はありそうだと思った

私にとっては普通のことなのですが、ブックマークのコメントなどを読んでも、どうやら県外の人にとって「信濃の国」は相当奇異なもののようです。

ただ、言われてみれば、「不思議な存在ではあるなぁ」と自分でも思いましたので、これを機会に調べてみようかとも思いました。特に分県論を鎮めたという話は初耳でしたので、強い興味を持ちました。

 

では、また。