ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

男神が女神に会いに行った跡といわれる御神渡りと八劔神社

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このところ急に冷え込んできたような気がします。昨夜、諏訪の街は雨が降りましたが、山の上では雪だったようで、八ヶ岳や霧ヶ峰が白く雪化粧をしていました。

寒くなると諏訪で話題に上るのが御神渡り(おみわたり)です。諏訪湖が完全結氷した後に氷の厚さが一定に達すると大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走りせりあがる自然現象ですが、地元では上社にいる男神が下社の女神の元へ向かった跡だと言われています。

正直なところ、今日はそんな御神渡りとそれにまつわる神事を行っている八劔(やつるぎ)神社についてです。

御神渡りとは

冬期に厳しい寒気が続いて、諏訪湖面が全面結氷した後に、さらに冷え込みが続くと氷が裂けて盛り上がり、高さ30~180㎝位の氷の山脈ができる。これを御神渡りという。

水と氷の収縮率・膨張率の違いから昼夜の温度差が大きくなるとこのような現象が発生すると考えられているが、南から北方向に、毎回同じような方向に発生するために、地元では昔から、諏訪大社上社の男神が下社の女神に会いに行った跡だと言われ、神聖視している。

現在でも御神渡りが出現するとその方向などから、その年の豊凶を占う「御神渡り神事」が行われています。そして、それを執り行うのが八劔神社です。

八劔神社

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小和田村の氏神としてもともとは高島にありましたが、高島城の築城の際に現在の場所へ移動しました。かつては現在の高島場付近まで諏訪湖が広がっていましたので、御神渡り神事を行う神社にふさわしく、湖畔にあったことになります。

祭神は八千矛神で、日本武尊と誉田別命を合祀しています。ちなみに八千矛神とは大国主命(おおくにぬしのみこと)の異称で、この大国主命とは諏訪の神様である建御名方神の父親です。

中世には北条氏や武田氏の尊崇が厚く、諏訪頼水が諏訪に復帰してからは高島城の鎮護の神社として第代藩主によって尊崇されてきました。

前述のとおり、諏訪湖の御神渡りの拝観はこの神社の特殊神事で、その結果を記録した御渡帳は1397年以降の気象などをまとめた資料として大変貴重なものです。

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現在の拝殿は嘉永元年(1848年)の上棟で、彫刻は立川専四郎冨種によるものです。

最近の御神渡り

かつては毎年のように見られた御神渡りも、最近では見られない年が結構あります。そしてそのスケールも随分と可愛らしいものになってきました。

今は禁止されていますが、私が子供の頃は結氷した諏訪湖の上を歩くことができ、祖父に連れられて御神渡りを近くで観た記憶があります。自分が小さかったこともありますが、見上げた記憶がありますので、1mはあったのではないでしょうか。

これも温暖化のせいなんでしょうかね?寒い冬は嫌いですが、大昔から脈々と続いてきた神事や文化ですので、できることなら今シーズンは立派な御神渡りを見たいものです。

御神渡りが出現するのは1月下旬~2月初旬の頃が多いですので、まだまだ先のことですが、もし、出現したのなら是非観にお越しください。寒い中ブルブル震えながら神様の通った道を見た後は、暖かい上諏訪温泉で体の芯から温まってください。

 

では、また。