ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

もののけ姫のオッコトヌシはここに由来?諏訪大社から移ってきた富士見町の乙事諏訪神社

広告

どうも。この1週間くらいは、朝起きればアクセスが100はあったのが、今朝は10行ってなくてショックを受けたhesochaです。Pro化で一気にドーン!! とはいかないようです。甘くはないです。

さて、今日は富士見にある諏訪神社に関して。諏訪神社は日本各地にありますが、諏訪エリアにも諏訪大社以外の諏訪神社が存在します。チョッと面白い神社ですので紹介します。

f:id:hesocha:20151107104633j:plain

 富士見の乙事諏訪神社

富士見町の乙事という地区に乙事諏訪神社はあります。神社の前にある案内の看板にはこうあります。

f:id:hesocha:20151107104553j:plain

 この神社は延徳二年(1490)お別当明神を祀り、文化八年(1811)諏訪明神の神霊を勧請した。この神社の拝殿・幣殿は神社建築史上重要なもので本殿を有しない神社の珍しい例である諏訪神社(神宮寺)の神前建物として元和三年(1617)に建立されたものであるが、嘉永年間にこの地に移建されたものである。この本殿は下社(天正年間御別当明神を祀った)といわれ文化八年(1811)諏訪明神の神霊を勧請の本殿として文政二年(1819)建築したものを昭和二十五年(1950)社殿の合併によって移築したものである。

 何のことやらですよね。補足します。

もとは諏訪大社の幣拝殿

まず、この案内に出てきた諏訪神社(神宮寺)ですが、これは今でいう諏訪大社本宮のことです。昔は大社と称する場合は官幣大社諏訪神社でした。ややこしくなるので以下も現在のお宮の名前で書いていきます。

天正十年(1582)諏訪大社上社本宮の社殿が織田信長に焼打ちにあい焼失します。その後、同十二年、諏訪頼忠によって神前造営がはじまり、仮殿がつくられ、諏訪大社は神社としての一応の姿を取り戻します。さらに同十八年(1590)になると日根野高吉が領主となり本格的に神前造立に着手します。

余談ですが、これに伴い、大社の仮殿を文禄二年(1593)に乙事に移動して建てたとも言われているそうです。ただ、文献が残っておらず、どのような社殿だったのかは定かではありません。

さて時代が移り再び諏訪家が領主となる江戸時代。元和三年(1617)に諏訪大社の拝殿・幣殿が造立されます。

そしてその200年後、天保四年(1833)諏訪大社の神前建て替え始まり、それまでの拝殿・幣殿は取り払うことになりました。そこで、この古神前を乙事に建てられないかと交渉を重ね、嘉永二年(1849)8月にその願いがかないました。

そう。つまり現・乙事諏訪神社拝殿・幣殿はかつての諏訪大社の拝殿・幣殿ということなのです。

ですので、建築作品としても大変優秀なものです。諏訪神社造りの形式・配置を伝えており、構造手法・彫刻・飾金具などは中世末期の時代性をよく示しているとして、昭和五年には国宝となったほどです。

ところが、昭和二十三年に舞屋からの出火による類焼の災難に遭遇。地域の協力により同二十五年に復元され、重要文化財に指定され今日に至っています。

 

変わった名前でしょ?

「乙事」これ、「おっこと」とよみます。

聞いたことありません?

もののけ姫に出てきましたよね。オッコトヌシって。

あの名前の由来はここの地名です。

宮崎駿さんはよく諏訪地方に来られているようで、もののけ姫の中には諏訪にゆかりのあるものが結構たくさんあります。あの作品の舞台は屋久島と白神山地がモデルだと言われていますが、物語のなかに諏訪信仰や八ヶ岳周辺の文化がちりばめられており、影響は受けているんだろうと思います。この辺もいつかまとめてみたいと思います。

 

 

では。また。