読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

第二の故郷・仙台

広告

今週のお題「好きな街」

このお題で私が何かを書くのであれば、「また地元の話か」と思われるかもしれないが、別の街についてです。

あと、残念ながら、わが地元は街というよりは町の可能性もあるので、このテーマにはそぐわないかもしれない。

ではどの街についてか。それは学生時代過ごした仙台をはじめとした、石巻、松島といった宮城県の仙石線の通る街について。

街あり海あり山ありその上、温泉も、美味いものある

観光ガイドなんてしているせいか、「遊びに行ったらどうか」という視点から街を見ることが多いです。そんな私の仙台の印象はとても良いものです。中心の市街地が都市化しているうえ、付近にはレジャーを楽しめる海も山もあり、その上、温泉やら史跡・名所もたくさんあります。おまけに食べ物もおいしい。

どんな楽しみ方でも出来る、誰しもが満足できる、まさに隙のない完璧な街のように思えます。

実際に過ごしていた頃の感想も「良い街」の一言につきます。住民は柔和な性格の方が多かったですし、気候も暑すぎず、寒すぎず、雪もそれほど降りませんし、実に過ごしやすい街でした。

諏訪以外に住むのであれば仙台に住みたいです。

実際に住もうとしていた

実は仙台、もしくは石巻への移住を本気で考えていた時期があります。考えていたというか、移住する予定で計画を建て、あと数日で引っ越すという状況でした。

それが、いまから5年前、2011年の3月のことです。

当時失業中だった私は、諏訪での就職を諦め、別の街で職を探そうと考えていました。こういう場合、身近な街、この場合なら松本や長野などにするか、東京で仕事を探すのが一般的なのかもしれませんが、松本・長野あたりでは諏訪同様に仕事は少ないだろうと思いましたし、東京では土地勘が全くないので、仕事以前に生活していく自信がありませんでした。そこで、学生時代を過ごした仙台・石巻で仕事を探そうと思ったのです。

まずは松島基地の近くにある祖父の家に身を寄せ、そこで就職活動をして石巻や仙台の企業に就職しようと考えていました。そして、5年前の今日、私は不動産会社に、それまで借りていた部屋を退去する旨を伝え、引っ越しの準備を始めたのです。

仙台でならやり直せる

うつ状態とか、精神的に病んでいたとか言うわけではありませんが、当時が私の人生のどん底だったことは間違いなく、気持ちは沈み切っていました。そんな私でも親切で温和な東北の人の中でならやって行けるのではないかと思っていましたし、「仙台は東北のニューヨーク、選り好みしなければ職はきっとあるはず。」そんな風に思っていました。

学生時代の思い出の仙台は、精神的にも経済的にも追いつめられていた自分を勇気づけてくれるだけの魅力ある街だったのです。そんな思い出にすがって引っ越しを決めたのです。

翌3月11日

翌日、つまり3月11日には不要な家財道具の処分を開始しました。最低限の物を残し、全て売却するなり捨てるなりして身軽になっておきたかったのです。

朝から作業を開始し、昼過ぎには部屋の中はだいぶ広くなっていました。

「この調子なら明日にはすべて処分できるかな。」と引っ越しまでのスケジュールを確認しながら休憩をとっていたときです。

長く、大きく、グルングルンと回るような揺れ

地震が発生しました。大きさもさることながら、その長さに驚きました。

書籍の類を処分し、空っぽになって軽くなった書棚が弾むように前後に揺れ、最後には倒れてきました。

「これはただ事ではない。」

当時、まだ捨てていなかったTVを付けて、速報を確認しました。

震源は東北。爺さんの家のすぐ近くでした。

泣きながらTVをながめる

時間の経過とともに被害の大きさが明らかになっていきます。津波や火災の映像も流れます。そんな様子を見ながら連絡の取れなくなった親戚や友人らのことを思っていました。

翌日からはより詳細な現地の情報が入ってきました。私が過ごした仙石線周辺は津波により甚大な被害を蒙っていました。よく見知った街が、まったく知らない景色に変わってしまっていました。

仙石線は本来はのどかな海岸線なのです。それが津波にさらわれ泥まみれで横たわっている列車や、倒壊した家屋、流されてきた船舶などで犇めき、まるで地獄絵図のようでした。

精神衛生上良くないと思い、ここでTV視聴をやめ、そのままTV捨ててしまいました。 

www.hesocha.com

その年の夏

震災のため仙台への移住計画を諦め、「就職先がないなら自分で仕事をつくれば良い。」と考えを改め、地元で生活していくことに決めました。 

www.hesocha.com

 不況でしたから大変でしたけど、震災にあわれた方の苦労を思えば、私の苦労なんてどうということはありません。

祖父母の家には震災直後とお盆の2回、その年には行きました。震災直後は本当に悲惨な状態で、どんな言葉をかけてやれば良いのかすら分からないといった感じでした。ただ、東北の人って、こういう時、強いんですよね。「いやぁ~、大変だったんだぞw」と笑いながら当時の話をしてくれるのです。「自衛隊も近くに有んだから、ダイジョブだ。」と。

その言葉どおり、数か月後、お盆休みに訪れた際には街はキレイになっており、賑わいを取り戻していました。

もちろん、アチコチに津波と地震の被害は残っていましたが、復旧の進み具合と地元民のタフさに驚かされました。

あの被害の後でも笑顔で暮らす東北人

ホント、尊敬します。

私は被害にはあっていません。本来なら励ます側です。でも、私は困難にあっても笑顔で暮らす東北人を目の当たりにして、励まされました。

彼らは強い。考えてみたら、戦後復興を支えたのだって、金の卵と言われた東北人なんだよな。

私はこういう東北の人らの姿を見て負けてたまるかと頑張ってこれたと思っています。仙台や石巻と言った東北の街は私を勇気づけてくれました。

いつかは仙台で仕事がしたい

5年前の移住計画は震災で頓挫しましたが、いつか、自分の事業を大きくして、仙台の街でも仕事をしてみたいです。現在祖父母と暮らしている母からも「出店計画はまだ建たんのか!?」と催促されているので、どうにか、挑戦したい目標です。

っで、この目標を建てた頃から、仕事も一段と楽しくなってきたように思います。やっぱり、私にとって仙台は特別な街のようです。

 

では、また。