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ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

20歳の頃の自分が今の自分を見たら…

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今週のお題「20歳」

もう、だいぶ昔のことになるので記憶があいまいだが、周りから若干浮いた学生をやっていた頃なので、当時のことをはっきりと憶えていたのなら、その痛い言動や黒歴史っぷりに枕に顔をうずめて、足をバタバタさせながら身悶えることになっているだろう。そう思うと、昔のことを少しずつ忘れて行ったり、思い出フィルターで美化していく脳のいい加減さとは、案外自己防衛のためには必要な機能なのかもしれない。

今日はそんな痛々しく青臭い学生時代の思い出話。

バイトに明け暮れた4年間

不景気だったうえ、兄弟が多いので親からの支援はあまりあてにはできませんでした。奨学金の制度もそれほど充実していなかったので、「よし、バイトで稼ごう」ということになりました。

国立大学だし、当時は今ほど学費も高くなかったが、それでもテキストなどもそろえるとなると結構な負担でした。何よりも負担となったのがPC関係です。ITというワードがすっかり市民権を得て、これからはPC使えないと仕事にならないという空気で満ち満ちていた頃だったため、大学の授業でもPCを取り入れたものが増えていました。また、課題レポートも「Wordで作成したものをフロッピーで提出すること」みたいな但し書きがつくことが多く、買わざるを得ない状況だったし、たしか大学時代に使っていたノートPCは大学で買わされたものだった記憶があります。

今は数万円で買えるPCも当時はまだ高かった。二十数万円のノートPCと数万円のプリンターにその他もろもろで30万円位だったと記憶している。1000万円ほどしたというオフコンを購入したことのある父は、「コンピューターも安くなったものだ」などと笑っていたが、全然笑えませんでした。安いなら買ってくれよ。

そんなこんなで、私の大学生活はバイトの合間に勉強しているような状態でした。

バイト、色々やったなぁ

レストランのウエイター、厨房での調理、レジ打ち、お惣菜づくり、農作業、宅配便の荷分け作業、引っ越し、家庭教師、回転ずしの調理(?)、塾講師、工事現場での作業、交通量調査、パンダちゃんの中の人… あと、何やったけな?これも経験だと思って、いろいろやってみました。

派遣なんてものが一般的になる少し前のことなので、安く使える学生のバイトが重宝されていました。そのため様々な求人がありましたし、バイト代もそこそこ良く、月に10~25万位の稼ぎになっていました。それまで小遣い制だった、それも平均よりもずっと少ない小遣いだった自分にはこの金額は小躍りしたくなってしまうような大金です。このため、お金を稼ぐということに楽しさを感じるようになりました。そうなると、学費を稼ぐという目的でやっていたはずのバイトでしたが、単純にお金を稼ぐことが楽しくて続けるようになっていました。

興味はお金から仕事へ

昔から、何故か歳の離れた人からは気に入られることが多く、この時もバイト先の偉い人らが聞いてもいないのに業界の話などをしてくれました。この話が結構面白い。 

バブル崩壊後の金融市場での不良債権の後始末が終わりつつある頃で、連日リストラやら倒産やら外資による買収やらのニュースで賑っていました。そんな頃なので「日本はもうだめだ」「欧米に目を向けよう」「いや、これからは中国・韓国だ」「年功序列・終身雇用の日本型経営は限界をむかえた。」なんてコメンテーターがしたり顔で言っており、当然、世論はそういう論に影響されていました。

TVがそういうのはまだ良いのですが、教授らの中にも「トヨタなんて10年後にはない。」とか「50年後、日本という国はない」とか言っちゃうような奴がいたり、なんともネガティブすぎる空気が漂っていました。

現在のような「日本スゲェ!!」みたいな言説ばかりが取り上げられる状況も、それはそれで気持ち悪いのですが、逆も同様ですごく違和感がありました。 

そんな時に、このオッサンらは「俺たちのやって来たこと、やっていることのどこがオカシイというのか。」とイチイチ、TVや新聞の論説の間違いを自虐を交えながら話してくれたのです。

パッと見、カッコ良くもないし、面白そうでもないオッサンらの仕事に興味を持ったのはこの時だと思いますし、金が欲しくて、単純に金を稼ぐのが楽しくてやっていたバイトの意味が少しだけ変わった気もします。

自分で仕事をつくってみたい

家庭の事情から起業というところまでは至りませんでしたが、自分で「何かやってみたい」と漠然に思うようになっていました。この辺から経営に関する本なども読み漁るようになり、若干…ではないな、かなり痛い感じの大学生に変貌を遂げていったと思います。今でいう意識高い系のような感じだと思います。

まぁ、バイト先のオッサンらが仕事の師匠なので、流行のITとかお洒落な感じのものを目指しはしませんでした。これが良かったかもしれません。あまり、ぶっ飛んだ空想みたいな計画にはならずに、あれこれと考えていたので、それが今に繋がったのだと思います。そう思うと、割と良い感じの着地点を見いだせたのかと思っています。

あの頃の自分が今の自分をみたら…

ここまでの話は、だいぶいい感じに思い出補正がかかっていると思います。フィルター外したら、やっぱり痛い学生なのかもしれません。いや、痛い学生だったのだろう。

だって、お金が好き、お金を稼ぎたい、自分の力でどうにかしたい、他人とは違う形でやってみたい… 当時の自分の行動と行動心理を考えると学生メディアクリエイターの皆さんと変わらないですから。

中二病と同じで、この頃にかかる病なんだろうね、きっと。なんか、妙な万能感があったことだけは覚えている。根拠もなく「何かを成せる」と思っていた。それに何処から湧いてくるのか分からないが、枯れることの無い情熱があったような気がする。

あの頃の自分が今の自分を見たらどう思うのだろう。

きっと絶望するんじゃなかろうか… 別に恥ずかしい生き方をしてはいないが、まだ世間を知らぬ自分には納得はできないような気がする。

あの万能感の中にいた自分にはこのへんの歌の深みは分からないような気がする。(ホントはチャゲアスのプライドも貼りたいのだけれど、色々問題ありそうなので止めときます。)

あの万能感が良いものなのか悪いものなのか未だに良くわからない。ただ、本気になれる経験をしたことは幸福だったと思うので、「お前らもがんばれ」と若い人にエールを送りたい気持ちはある。しかし、それと同時に、青臭いことをやっていたと恥ずかしく思うこともあり、「社会ってそんな簡単なもんじゃないから、もっと視野で広げろ、経験を積め、それからだって良いじゃないか。生き急ぐな。」と説教たれたくなることもある。つか、この前たれた。そして見事に老害認定されたw

 

考えたところで良くわからない。あの時のオッサンらから見れば、私もまだまだケツの青いガキなのだろうし。結局、どうすべきかなんてその時には分からないし、正解を薦められても納得できない場合の方が多いのだろう。だから、そういう経験をどう活かしていくかが重要なのだろうと納得することにした。

だいたい、自分はまだ若い!青臭い情熱はまだまだ尽きていない。前言撤回、あの頃のわかっちゃいない自分さえも納得する生き方をしてやる。

では、また。