ヘソで茶をわかす

日本のへそ、諏訪湖畔に住む小市民の日々の記録

復讐するは我にあり

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こんな記事を読んだ。

kamennkousi.hatenablog.com

学習塾の講師をされている方のブログなのですが、テストが近いために休日の補習授業が行われたそうなのですが、完全なボランティアの作業なのだとか。

自分も学習塾を運営していますし、テスト前の休日補習などの特別授業を組むことはあるので、他人ごとではないです。

講師の善意・熱意に甘える管理者は多い

塾講師って、ブツブツと文句を言いながらも、子供が好きだったり、教えることが好きだったりする人が多いです。

上記の記事を書いた先生も、何のかんの言いながらもこの仕事好きなんだと思います。

担当している生徒が頑張っていれば、なんとか目標を達成させてやりたいと思いますし、多少ならば無理をしてでも勉強につきあってやりたくなることがあります。

っで、結果的にこういう善意だったり、熱意だったりに管理者が甘えるわけです。

最初は管理者だって、「申し訳ないねぇ」くらいのことは思っているのだろうけれど、それがいつの間にか状態化され、最終的には、そういう形での搾取を行わなければ塾が回らなくなる。

良かれと思った行為がブラック化の原因になる

善意で補習を手伝ったはずが、熱意でテスト勉強につきあったはずが、いつの間にか当たり前のことだと思われ、善意・熱意の搾取が無ければ教室運営ができない状態になっていく。

これがほとんどの学習塾のブラック化の過程だと思います。いつの間にか報酬以上のパフォーマンスを求められるようになっていくのです。

普通、ブラックだと思えば辞めてしまえば良いのですが、困ったことに、この仕事をしていると生徒に対してある種の情が芽生えてしまって、辞めるに辞められなくなるんですよね。っで、さらにブラック化のスパイラルに嵌まっていく。

私も初めて塾講師のバイトをした学習塾で、まんまとこのパターンに嵌まってしまい、だいぶ苦労した記憶があります。

ただ、どうなんでしょう。こういうのって、他の業種でも多かれ少なかれあるんじゃないですかね。仕事に対して誇りとか愛着とかある人の方が、搾取されやすい状態にあるような気がします。

多分、誰も得をしない

ブラック化してしまうと、働いている雇用者はもちろん、サービスを受けるお客さまも損をします。春先に起きたスキーバスの事故だって、結局は労働者に無理をさせたために起きたものでした。あのバス会社の経営者、顧客、労働者、誰か得をしましたか?

ちょっと、例が極端だったかもしれませんので、塾を例にとってみましょう。

紹介した記事の塾の様にテスト前に補習をしてあげたとしても、そこで無理をして普段の授業のパフォーマンスが落ちるのでは意味がありません。

落ちないように頑張れば良いと管理者あたりが言いそうですが、それぞれの授業で全力で指導できるようにコマ割りを調整すべきなんですよね。本当は。

上手くコマ割りを調整できている状態と、ボランティアの補習がある状態でくらべたら、絶対に前者の方が利用者にとっては有益なはずです。つまり、ブラック化したために生徒は損をさせられたと言えます。

経営側も同じです。一見、労働者から搾取しているのだからプラスのように見えますが、それは短期的なものです。長期的に見れば絶対にマイナスです。

顧客に損をさせるようなサービスが支持をされるはずがありませんし、労働者に無理をさせれば、力のある者から辞めていきます。数年前とは雇用情勢が違います。仕事はいくらだってあるのです。

ブラックだと思うのならば、訴える勇気を

ブラックな状態のままというのは誰も幸せにしません。状況改善のために一言、訴えるべきです。

訴えるというと大げさですかね。別に官公庁に訴えろとかそういう話ではありません。(もっとも、悪質な場合はそれもアリだと思いますけど。)「ここ、こうしませんか?」「この方が良いのではないですか?」と会社側に言いましょう。

前述の通り、雇用情勢が数年前とはだいぶ違います。私、今本当に人を雇うために苦労してますよ。雇うのが大変ということは、辞められたらもっと大変ということです。

少なくとも複数名が一緒に訴えた場合、これを無視できる経営者は少ないと思います。そんな奴がいたら余程のマヌケか、ヒトデナシのどちらかです。

景気が悪いと言いますが

景気が悪いのは間違いないと思います。しかし、悪いなりにも変化はあって、繰り返しますが、雇用環境は数年前より格段に良くなったと思います。

「ちゃんとやってくれないなら他へ行く。」そう言えるだけの状況が整いつつある今は、ブラック企業を死滅させるチャンスなのだと思っています。

いい加減、コストカットだの企業努力だのと労働力を買いたたく時代は終わりにしなければいけません。

復讐するは我にあり

「復讐するは我にあり」って言葉、佐木隆三の小説の影響もあって、復讐を誓ったりするための言葉として使われることが多いですが、もともとは聖書の言葉で、相手から傷つけられても、復讐せずに相手を赦して平和に過ごしなさいというのが本来の意味なんだそうです。

まぁ、今回の件についてはどちらの意味で使っても解釈されても良いと思うんですよ。憎いブラック企業に一泡吹かせたいでも良いですし、今はブラック企業でも話し合いによって、許し合い、良い会社にしていこうでも。

結局、方法が違えどブラック企業さえなくなれば良いと思いますので。

 

なくそうブラック企業

それでは、また。